エモくなんてねえよ

雑記

エモいエモい連呼してるやつって薄っぺらくないか?

僕はエモいという言葉が嫌いだ。最近の若者、とくに腐れサブカル野郎。あいつらとりあえずエモいって言っておけばいいと思っている。サブカルの過剰摂取は脳みそを縮めるらしい。結局のところあいつらが好きなのはエモいものではなく、エモいエモいと感傷に浸っている自分だ。

エモいという言葉は万能である。どんな場面でもとりあえずエモいといっておけば達観ぶれる。まずこの「ハイハイ、私はわかってますよ。あなたにはこのエモさわかんないの?」といった押しつけがましいというかなんというか見下されている感じが最高にむかつく。

腐れサブカルは人と異なることを好む。奴らにとっては他人にはわからないエモさが自分には感じられるという状況が気持ちいいんだろう。タバコの画像あげて何がエモいんだ。繁華街で死んだ目で働いてるやつ見てるほうが百倍感傷的な気持ちにさせてくれる。

ここまでが前置き。腐れサブカルを叩きたかっただけ。僕も他人からみたらきっと腐れサブカル。同族嫌悪。

本題

エモいって言葉薄っぺらくね?

きっと感傷的になったりしたときにうまく言葉に表せなくてエモいというんだろう。どうしても言葉にならなくてエモいという言葉が出るなら全然かまわない。むしろそういった場面からでるエモいは大切にすべきだ。

問題はすぐエモいというやつ。奴らはせっかく感傷的な出来事に遭遇しているのに、それをエモいの一言で片づける。言語化をする努力をしろ。おまえが感じたことを考察しろ。思考の放棄は何も生まない。

エモいという言葉は汎用性がたかすぎた。やばいと同じものをエモいに感じる。汎用性が高いということは幅広い場面でつかえる一方、ある特定の場面を表現するのには向いていない。お花見、花火大会、紅葉狩り、イルミネーション、確かにきれいだったはずの思い出がすべてエモいで表され、陳腐になる。

うだうだ書いたが単純に僕がエモいエモい連呼するやつが嫌い、ただそれだけ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました